親子の葛藤の相談を受けることがあります。
『親』って、本当にいるのかなあ。、、、
当たり前と思っていることを、
疑ってみることの大切さを思います。
ちなみに私は、この肉体は母から出てきたけれど、
精神が母から出て来たとは考えることができません。
母はこの私という精神を産んではいません。
実に愛情深く丁寧に育ててくれた母ですが、
「私はあなたを産んだ気がしない」と
よく言っていましたし、
父も、母と同じ感覚だったようでした。
子どもというのは、『あずかり子』なのだということを、
父母は、何と言うか、頭でというよりハートで、
理解していたのではないかと思います。
だから、父も母も、私に対して
所有者的な態度で接することは無いですし、
私の考えや、選択を尊重してくれ、常に、
別の人格として、対応してくれました。
私自身も、父母に対して所有の感覚がありません。
『私の親』というような感覚で意識していないのです。
だから、学費とか生活費とかも父母が出して当然と考えません。
理解されにくい感覚かもしれません。
父母に何かが足りないというような、
不足を感じたことが無いのです。
人生の上で、困難なことがあった時も、
よくありがちな、
父母に責任を転嫁するというような
考えが浮かんだことは、勿論一度もありません。
さて、
子どもが、父母に対して、
『私の親なんだから当然!』と考えるのも、
父母が、『私の子どもなんだから当然!』
と考えるのも、
その当然が、果たして、
ほんとに当然なのかどうか?
苦しみの大元において、
父母になる前に、
「別人格の人間を授かるのだ」
という認識と覚悟があるのと無いの
との、違いの大きさを思います〜。♪