企業内セッション〜。♪
「結婚して自分の家庭を持つのが夢です。
自分の子どもを作って。
家族を幸せにしたいんです!」
と熱く語る青年。
そんな青年に、
水をかけるようなことを言う私。
例えばですよ、
私は誰かに幸せにしてもらおうなんて考えませんけどね。
私が幸せと感じるかどうかは、
他者は関係ないです。
夫であろうが我が子であろうが、
私を幸せにすることも不幸にすることもできません。
家族に幸せにしてもらおうとか、
そんなこと求めていませんし、そもそも、
私の幸せの為に必要な誰かなんてのは、
私にはいません。
その誰かのように見える存在は、必要なんじゃなくて、
ただ、存在してるだけで、もう
それだけで、凄いことであって。
奇蹟です。
必要だから一緒にいるわけではないんですよ。
夫も子どもも、存在してくれるだけでいいですよ。
そして、勿論、彼らが居なくなるとしたら、
それもまた、それでいいんです。
って言う私みたいな相手だったらどうするんですか?
まあ、今のようなことを言っていれば、
「幸せにしてもらおう!」
「不幸になったらあなたのせい!」
的な根性の女が近づいて来るでしょうから、
安心してください。、、、みたいな。
フリーズする青年は、びしょ濡れ。
だっかもしれません。
もとい、
相手もいないというのに、
「結婚が夢。子どもが欲しい。
ほのぼのと子育てしたいから。」
と本気で言う、実に心優しい青年に、
いえ、だからこそ、
こちらも本気の問いです。
今、あなたが抱いているその夢や希望が、
時代や文化、社会からの要請、
つまり、無意識のうちに、
システムに支配された思考によるものである
可能性はないでしょうか?
そもそも、幸せってなんでしょう。
結婚て何でしょう。
我が妻(夫)っていったい何でしょう。
我が子っていったい何でしょう。
我の我のって考えを考えている我、私。
この《私》っていったいぜんたい、
どこに居るんでしょうね?
考えてみると面白い発見があるかもしれませんよね。♪
ちなみに、私は、結婚や子育てに反対論者とかでもありません。