特別企画『和歌山の旅』を終え

特別企画『和歌山の旅』を終え、東京への帰路。
新幹線ちう〜。♪

たまたま、南方熊楠の研究をされているという、
大学の先生方6人によるパネルディスカッションが開催されていました。

それぞれの先生方の、熊楠論を聞いて、
「ああ、人間というのは、自分が見たいようにしか見れないのだ」
ということを改めて思いました。

どこまで行っても、《私》の解釈なのであります。
当然なんですけども。

熊楠との出会を『知音』と言った孫文は、
熊楠に何を観たのでしょう?
分かる人には分かる。分からない人には分からない。
これも、今回の旅でいよいよ確認したこと。

私たちは、自分に受けとめられるだけのものしか
理解できない。そういうものです。

熊楠という現象は、一般的な人々が言うところの
いわゆるフツーのヒトではありませんでした。
一生を通して、学びたいだけ学び続け。
しかもどこの大学にも所属せず、独学で、
研究し続けました。

それが、エコロジーを世に広げ,
沢山の鎮守の森を失わずに残すことへと
結実させていきました。彼の学びの成果です。
彼の合祀反対論は理論がしっかりとありました。

この度の諸先生方の『熊楠には理論が無い、
成果が無い、絵が下手くそ』などの評価や様々な
弁から察するに、熊楠という現象を語るには、
器が小さ過ぎたのではないかというのが私の感想です。

そんな私は熊楠に何を観ているんだろう?
と改めて考えると、熊楠を思って一番に浮かぶこととは、

熊楠の特異性が周りからは理解し難いものだった為に、
様々な非難中傷をうけましたが、

しかし、熊楠は自らの内の多様性を、
周りからどう言われようと、
徹底的に受け入れ続けたということ、
そのことが、私を嬉しくさせます!

自らの内の多様性を徹底的に受け入れることを、
すべての人間ができたなら、
どんなにユニークで楽しいだろうと、
ひとりニンマリするのです。

また、今回の旅でも、

誰かが言うことを鵜呑みにするのではなく、
聞こえてきた『言葉』を、吟味すること、
自らの考えを見つけるまで、
考え抜くことの大切さを思いました。

ご一緒した参加者の皆様との1つ1つのご縁。
一瞬一瞬の出来事。交わした言葉。

誠に誠に、ありがとうございました
おつかれさまでした〜!♪

追伸、
突然の企画だったにも関わらず、
沢山のご応募をいただき、
キャンセル待ちの方まで出てしまいましたが、
ご参加いただけなかった方々申し訳ありませんでした。

いつの日か、また、何かどこかでかの
ご縁を心より楽しみにお待ち申し上げております。
感謝を込めて。

Koyo

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