どう在るか?」の前に、
「何故に、在るんだ?!」ですね。
「どう在るか?」という問いは、
「在る」(存在していること)が
当然のこととして成り立っていますが、
果たして、「在る」(存在している)は
当然なのかどうか?
見かけ上、当然のように考えられている
「私が存在している」というこのこと。
これを、当然と流してしまう前に、
よくよく、よくよく、考え、
よくよく、よくよく、観てみると、
「どう在るか」という問い自体が、
変化、消滅してしまいます。
「何故に在るんだ?!」という衝撃的疑問は、
それまでは当たり前だった言葉達を、
ハラハラと退去させてしまいます。
あらゆる思い込みを、玉砕してしまいます。
そして、
当たり前が、当たり前なんかじゃないことに気づき始め、
当たり前のように在るこれこそが、実は、奇蹟じゃないか!
ってことになってゆくわけです。
むしろ、こっちが奇蹟。
それがみえてくると、
多くの人々が奇蹟と騒いでる方は、
別にに大したことじゃないってみえてきます。
どんなサイキックも、幽霊も、宇宙人も、科学も、
さして驚きようがなくなってしまうのです。
だって、「そんなことよりさあ!
何で私が私として存在してるわけ?
そっちの不思議の方がすごくない?!」
ってことになってしまいますから。♪